西本かおり。ゆかりの双子の妹である。活発で豪快なゆかりに対し、こちらは大人しくてどうにも影が薄い。
「ごめんなさい、洋くん。私まだまだ結婚は考えられなくて」
「まだまだって、おまえ、俺たち再来年は30ばい」
「でも…」
次藤は身を乗り出した。かおりは申し訳なさそうに目をそらす。
広くはない店内だが開店前の今、客はない。地元で人気の定食屋の若きオーナー西本かおりはひとりでこの店を切り盛りしていた。
「また駄目でしたね、プロポーズ」
その隣で無慈悲に佐野が断定した。長い前髪のせいで表情はわかりにくいが、どきっぱりと言うその言葉は明るい。
「さすがに10回ともなるとこれは無理でしょ」
「8回タイ!」
次藤は吠えた。そしてカウンター越しに力説する。
「おまえがこの店ば大切にしたいのはわかる。爺さんから受け継いだ店ばい。俺にとってもその気持ちは同じタイ」
「……」
黙りこむかおりを次藤はじっと見た。
「従兄弟なんが気に入らんと」
はっと顔をあげたかおりは首を振る。
「気に入らないとか、そういうんじゃなくて」
「イトコが日本代表って、逆に自慢していいと思うなあ」
まあ、南葛では珍しくもないだろうが。現に姉のゆかりの旦那も同僚だ。
つぶやいておいて、佐野がしれっと次藤に言う。
「俺が思うに、かおりさんは年下が好みなんじゃないかな。でなければ大男じゃなく小さいオトコがいいとか」
「なにィ」
次藤はすごんだが佐野は明るく向き直った。
「どうですか、かおりさん。それなら俺と結婚しません?」
「無理です」
即答されてしまう。
「やっぱり駄目か」
佐野はニヤニヤする。かおりはうつむいてしまった。
「おい佐野、真面目にやらんか。おまえは他人事か知らんが…」
「真面目ですって」
そして席を立つ。
「とりあえず今回は失礼しましょう。次の11回目に期待して」
「次は9回目タイ!」
抗議する次藤をなだめながら佐野は最後に出窓の隅の信楽焼に目をやった。
「お邪魔しました。また来ます――」
「ま、待て佐野」
騒々しくドアが閉まってかおりは息をつく。
と、またすぐドアが開いて――。
「11回目、来ました!」
思い切り明るい声だった。
「9回目タイ、9回目!」
かおりはぽかんとした。
次藤はきまり悪そうに新しいブーケを手の中で右に預けたり左に預けたりしている。
「プロポーズ、どうぞ」
佐野に押し出されて、次藤は大きく息を吸った。棒立ちになっていたかおりが歩を踏み出す。
「か、かおり?」
次藤がプロポーズの言葉を言う前に、かおりは両腕を次藤に回して顔をうずめていた。涙の混じった声が細く聞こえる。
「洋くん、大好き。結婚してください」
「ええーっ」
「ほんとは10回目だったんですよ、これで」
あとになって佐野が明かした。
「以前、次藤さんが試合中に倒れた時、かおりさんが来てたんです」
意識のとんだ次藤のそばから、かおりは離れなかった。そして。
「俺、聞いちゃったんですよね。枕元でかおりさんが――」
ちらりと二人を見る。かおりは赤くなって顔を伏せた。
「かおりさんって、ずっと前から次藤さんが好きすぎて、逆にしりごみしてたみたいなんです。それで記念すべき10回目で思い切り思い切るつもりだったと」
「佐野…」
「さっき、最後にプロポーズを断った時、かおりさんの手がずっと小さく震えてたの、気づきませんでした?」
「なんでおまえ言わんかったと。俺は悲観と楽観の間でぎりぎりだったタイ」
「そりゃあ、プロポーズは他人が口出しするわけにはいきませんからね」
とある晴れた日、シャッターを押して佐野は楽しそうにため息をついた。
「次藤さん、袴が似合うなあ。かおりさんの高島田も」
二人の祖父が礼服で豪快に笑っていた。田舎に引っ込んでも変わりなく。かいがいしくお世話に立ち働く姉のゆかりの姿もある。
「俺はこれでまた独身街道まっしぐらだ。誰か俺にもプロポーズしてくれないかなあ」
かおりの店の片隅にあった信楽焼。ひろしと名付けて大切に大切にされていたことを知っていた佐野はついにそれだけは言い出せなかった。
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