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「くっそー、決まらない!」
 悔しそうに来生が叫んだ。ゴール前で森崎ががっちりとボールを胸で押さえていた。
 夜間練習の数人がローテーションでシュート練習をしているところだった。いつもの練習に南葛の何人かが協力を名乗り出てくれたのだ。
「よーし、次は俺っ」
 翼が構えを取った。長い軌道が夜の闇を突き抜ける。ドライブシュートだ。
「あっ」
 ボールはゴールに達してネットを揺すったが、森崎は嬉しそうな声を上げる。
「今度はちょっとかすったぞ、指先を」
「おおっ、すげえぞ、森崎。ちゃんと反応できてたぜ」
 石崎が声を張り上げた。ちょっと意外そうなのはどうなんだ。
「じゃあ次は、丹生、行け!」
「はいっ!」
 ゴールエリアの手前、送られたクロスからのシュート。森崎は右へ飛ぶ。
「うおっ!」
 ボールはわずかに浮いて森崎に直撃した。顔に、である。
「うう」
「大丈夫かっ、森崎!」
 その勢いに驚いた近くの何人かが駆け寄るが、森崎は額を押さえながらすぐに立ち上がった。
「だ、大丈夫。ま、ボールは友達、怖くない、だよ」
「ははは」
 真っ先に覗き込んだのが翼だと気づいて、森崎はおどけて言う余裕を見せる。そう、それはかつて翼が森崎に言った言葉だった。
「じゃあ、これで終わりにするか。時間も遅くなったしな」
「そうだな」
 めいめいに道具を集めて仕舞い支度だ。
「なあ、丹生」
「はい?」
 その中の唯一の1年生に森崎は近づいた。
「さっきのシュート、威力があったぞ。おまえ、どんどん成長してるな」
「はい、ありがとうございます!」
「いつもこうして一緒に練習してくれて、ほんとすごく励みになってるんだ、ありがとう」
 森崎はにこっと笑った。
「最初に会った頃と比べてすごい進歩だものな。正直俺も力づけられてるんだ。俺も頑張らなくちゃって本気で思えるくらいに」
「そ、そんな」
 丹生は照れた。こんなにまっすぐに感謝されるとは。
「いつもこんなに力になってくれてさ。な、一緒に世界を目指せたらいいな?」
「はいっ!」
 肩を並べて宿舎に向かう。最後になった二人はグラウンドの照明をパチンと落とした。




 1年生の丹生飛一郎は実は一人で次々にいろいろな国の練習先に顔を出している。何人かは顔なじみとなり、個人的にアドバイスをもらったり実技に付き合ってもらったりしているのだ。
 だからその日も、日本のチーム練習の休憩時間に一ヶ所寄り道をしていた。
「あ、丹生。遅かったな。行こうか?」
 日本のロッカールームにいた森崎は、振り返って戸口に丹生の顔を認めて微笑んだ。が、その後ろにいた人物を見て凍る。
「えっ、ジノ・ヘルナンデス! な、なんでここにっ?」
「やあ」
 が、ジノは屈託なく握手を求めてきた。
「キミがモリサキだね。よろしく」
「は、はい~?」
「僕が頼んだんですよ。森崎さんの特訓に付き合ってもらえないかって」
 丹生の説明にもただポカンとする。
 確かに前日、いつもの練習中に森崎は珍しくいらだっていた。それを指摘されて、思わず愚痴まで出たのだ。
「俺は若林さんに少しでも近づけたらってずっと努力してきたけど、どんどん差が広がるばかりで、自分の力のなさに絶望するんだ。ドイツとのプレマッチで何もできないまま点を決められていって…。自分の不甲斐なさをあんなに見せつけられて。悔しいよ、情けないよ」
「森崎さん…」
 頑張れば頑張るほど道の遠さに気づく。それはどんなにつらいだろう。
 だから丹生は、イタリアのチームキャプテンでもあるジノに話をきいてもらった。
「なるほど。僕らは日本に負けたことを糧にして、そのあとオランダを破って決勝トーナメントにも進むことができた。君や君の仲間の頑張りは僕らのサッカーの力にもなるわけだ。もう決勝まで戦えないのは残念だが、その分是非勝ち進んでほしい。君たちの勝利を願っているよ」
 ジノの力強い宣言は、どんな時でも先へと進む輝きを示していた。だから…。
「このあと紅白戦らしいね。見せてもらうよ、君のプレイを」
「よ、よろしく」



「はっきり言って、多くの問題点があるね」
 練習を見た後、ジノは言った。
「まず取捨選択だ。絞るべきは絞る。それがもっとできるはずだ。相手の攻撃自体を絞っていくことでシュートコースは狭められる。君自身のポジショニングもそうだし、相手シュートを君の側から操作することだってできるんだ」
 ジノの目は的確だった。
「さっきの紅白戦、最初の7番のシュートはあの曲がりは予測できる。ボールの回転の様子、プレイヤーのクセ、軸足の角度、どれをどう見抜くかだ。次の5番のパワーシュートもそうだね。より迅速に予測することで対応も早まる。その分君も対応してより確実に踏ん張れただろう。どちらも防げたシュートだ」
「う、う…」
 何も言えない。早田、次籐による失点をそうまで観察されては。
「次にコーチングだ。キーパーの仕事のほとんどがこれだと言っていい。君はこれが不足している。一番後ろからすべてを把握する位置にいるんだからもっと積極的に指示を出さなくては。個々の選手の特徴やプレイのクセを考えて攻撃のパターンを予測する。そしてそれを味方ディフェンスに有効に指示していく。これで君のゴールセービングはより凝縮できるわけだ」
「うーん、頭ではわかってるつもりなんだけど…」
 森崎はますますしょぼくれる。
「はは。もちろんこれは理想だよ。厳しい言い方になったが、僕だって日々その理想に近づける努力をしてる。君の場合、そういった課題をクリアしていくことで解決できるってことだ。逆に言えばね」
「はあ、道は険しいな」
「そうだね、一度には難しい。だがそう意識しながら続けることが大事なんだ。でなければ世界と戦うことはできないよ」
「少しづつ、か」
「ああ、より早い予測、より早い対応だ。そうすることで次に来る事態、次の次に来る事態に対していける。どうパスが出るか、どうシュートが来るか、それらすべてをつかむことで、空間を、時間を支配できるゴールキーパーに、君もきっとなれる」
 道筋を知る。それは道を明るく照らす。遠い目的地でも。小さい努力を、それでもこつこつと持続する才能があるなら。
「あとは技術面だ。これは一例だが…」
 ジノのコーチはさらに続いた。
「じゃ、行きますよー」
 ドリブルで近づいてシュート。ゴール前でギュンと伸びるシュートだ。
 それを正面に捕える。ガシンと引き寄せて胸元に。ボールは両腕に確かに収まった。
「や、やった! 完璧に取れたぞ!」
「今の感じだ。そのタイミングだよ」
 ジノの声も明るい。向こうでは防がれた丹生が飛び上がった。
「軸足の爪先の角度を見てシュートコースを読むのは基本だ。PKもね。ただしその逆をあえてついてくる選手もいるから、まさに駆け引きだね。確率は上げる。守備範囲はできる限り狭めていく。試合中も同じだ」
「ありがとう、ジノ。今日はほんとにためになったよ」
 そして勇気。努力していける勇気が手渡されたのだ。
「これでファイヤーショットだって取れますね!」
 丹生がはしゃぐ。
「おいおい、あれは若島津でも怪我させられたんだよ」
「ファイヤーショットか。あれは僕もやられたな。1年前に」
 こっちのキーパーたちはあくまで真面目だ。
「キミがプレマッチのドイツ戦で悔しい経験をしたことはニウから聞いたよ。借りを返させてあげたいけど、借りなら僕も同じだ。君の前に止めさせてもらうよ。僕らイタリアが絶対に勝つ!」
「え、で、でも君の右手はニュースだと…」
 青ざめる森崎だった。視線はジノの手に。
 ジノも自分の手を見下ろす。
「ああ、そうだね。3ヶ所ほど折れてる」
 いやいやいや。そんなことをあっさりと。
「でも僕はこの手で守るよ。勝って、イタリアと日本、決勝戦で会おう!」
「ジノ…」
 どういうメンタルの持ち主なんだ。それとも。
「でもありがとう、ほんとに」
 宿舎へと帰っていくジノの後ろ姿に、もう一度お礼の言葉をつぶやく。その覚悟に向けて、言い尽くせない思いを込めて。
「おまえも、ほんとにありがとう。ジノのコーチを受けられるなんて、夢みたいだった。おまえが俺のために手を尽くしてくれたこと、ほんとにほんとに感謝するよ」
 グラブをはめたままの両手でぎゅっと包む握手。その心からの笑顔を、丹生は大切に受け取った。


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